読むのは奴らだ

「フィールド・オブ・ドリームス」

野球少年だった。夢は大分商業高校のユニホームを着て新大分球場(現別大興産スタジアム)でプレーすることだった


フィールド・オブ・ドリームス

 大分市の東部地区で育った。校区には書店が1軒あった。父と二人で入ったことがある。漫画以外と決めていたので何を買うか悩んだ。父の薦めもあり、東京六大学野球の本にした。「名勝負列伝」のようなタイトルだった。自宅で開くと、小学生にはなじみのない選手ばかり。読んだのは、プロ野球で活躍していた山本浩二や田淵幸一のページだけだった。

 休みの日になると、父は寝転がってその本を読んでいた。自分が読みたくて買わせたのだろう。大学に進まなかった父は、東京や野球に思うところがあったのかもしれない。

 私が中学生になると、父とはほとんど話さなくなった。本は高校生の頃に捨てた。

 合格した大学は第一志望ではなかったが、東京六大学だったこともあり入学を決めた。東京に出発する前日の晩、父に進学することを伝えた。彼は「山中(正竹)の大学か」と言った。リーグ史上最多の48勝を挙げた佐伯市出身の名投手の名前を口にした。そして「よかったな」と笑った。

 これが父と交わした最後の会話だった。

 この年の10月、東京のアパートに「チチキトク」の電話があった。羽田空港でキャンセル待ち。奇跡的に一番早い便に乗ることができた。大分空港から大分市内の病院までタクシーを飛ばした。病室に着くと、親戚が集まっていた。私を見た父の目から涙があふれた。何かを伝えようとしていたが、言葉を発することはできなかった。その20分後に息を引き取った。49歳だった。

 私の在学中、野球部は東京六大学リーグで低迷していた。最終学年の秋、11季ぶりに優勝した。監督は就任したばかりの山中だった。神宮球場から提灯行列で練り歩いた。父と書店に行った日の記憶がよみがえった。

 高校3年生の息子が、関東の大学に行きたいと言う。私の死に目に会うことは諦めている。家から送り出すということは、そういうことなのだろうと思う。

ジミー・ナオノ

ジミー・ナオノ

「連載タイトル / 読むのは奴らだ」 大分市・1970年生まれ。モッズ(←映画「さらば青春の光」参照)を気取って30年以上になる白髪交じりの50代。自宅の書棚は「ロックのち映画、時々プロレス」。デジタル社会の未来に興味あり。

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