
「ピクニック」を読んで
「その人は、今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じない人だと思うよ」
2021年に公開された映画「花束みたいな恋をした」の中で、菅田将暉と有村架純が演じるカップルの会話に2回も登場するせりふらしい。先日、会社の同期と一緒にいる時、この話題になった。私たち4人は何か感じる人間なのかどうか。気になって仕方ない私たちの行動は早く、次の日にはおのおの本を手に入れ、あっという間に読み終わった。
「こちらあみ子」に収録された短編「ピクニック」は、とある飲食店で働く女性・七瀬とその同僚ルミたちの日常を描いた話。七瀬は人気お笑いタレント・春げんきと交際しており、ルミたちは2人の恋を応援していた。しかし、ある日、春とアイドルの結婚報道が出て…と物語は展開する。
結果、私たちはきれいに二分した。読み終わって「これで終わり? 何を感じればいいの?」と驚いたAとB、「何とも言えない嫌な感じ」がしたCと私。
さらに詳しく話すと、それぞれストーリーのとらえ方も異なった。Aいわく「浮気された女の人とその同僚の話」。素直な彼女は、書かれている文章を言葉のまま信じた。Bは「うそを介して立場の違う人たちが交流しようとする話」と捉え、自分が七瀬と会話したらどう感じるか想像するほど世界に入り込んでいた。
「壮絶な女の世界の話」と語るCは、七瀬とルミたちの関係性に、陰湿ないじめの構図を重ねた。私にとっては「不愉快な行動を正当化している人たちの話」で、語り手の視点によって印象操作される怖さを感じた。
映画の中で「何も感じない人間」にはマイナスな意味が込められていたが、こうして読み比べてみると決してそうではない。読解力か性格か、考え方か。なぜここまで違いがあるのか分からないが、読む人によって全く異なるストーリーになる。ぜひ多くの人の感想を聞いてみたい。