この本大分本

「隠れた大分本」

佐藤垢石「河童のへそ」要書房

隠れた大分本

 佐藤垢石の旅のエッセー集である。

 といってこの人物を知る大分人はほとんどいない。それは仕方がない。県内公立図書館に所蔵された彼の著作はたった3冊でいずれも閉架だ。しかし本書は大分本の名著といっていい。近代に活躍した大分の歴史上の人物が次々と登場し、佐藤の話のネタにされている。

 佐藤は1888(明治21)年生まれの群馬県のジャーナリストである。号の垢石はアユが食用とする水ゴケのことで釣り用語。報知新聞社を辞したあと、趣味が高じて釣り雑誌を創刊し、釣り、酒、食、旅をテーマに多くの紀行文を残している。

 彼は昔から大の大分通であったと述べている。というのも、彼が入社した当時の報知新聞社は、社長が臼杵出身の箕浦勝人であったため、社員に豊前豊後の人が多かった。

 片桐勝彦、広田四郎、後藤喜間太、御手洗辰雄、佐藤勇生、矢野干城、熊野御堂某…。

 彼らからいつもお国自慢を聞かされた結果、彼自身が大分自慢をするようになったと。

 初の大分旅行では別府を訪れている。ここで佐藤の歓迎会が催され、集まったのは脇鉄一市長、河村友吉助役、別府観光の小林常務、画家の権藤種男らの面々。権藤とは旧知の仲で、この日飲み明かしている。2日後、日出の的山荘で成清信輔と銘酒「的山」を楽しみ、別府に戻って政治家の木下郁と旧交を温めていると、再び権藤と脇市長が現れ、ラクテンチへ象に乗りに出かけている。なんとも精力的な人たちだ。

 大分人の艶笑譚もある。内容が内容だけに名前を伏せるが、大分の好色を代表する人物として、2人の政界の大物を挙げている。Aはオットセイの一物を服用し夜の営みに励んでいたというのだが、同郷のBにも元気を出してもらいたいと、効能についての詳細な手紙を添えBに贈っている。後日、BからAに礼状が届く。この老年に及んで人生の春が再びめぐりきたるとは夢にも思わなかった云々。

 偉人たちの俗っぽい一面に親近感を覚える。

本仏お

本仏お

「連載タイトル / この本大分本」 大分市・1977年生まれ。経営コンサルタント。大分本2千冊と大分パンフ4千部、大分絵はがき6千枚に囲まれた生活を送る。

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